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あの日から13日目に思うこと
 生徒を避難させたあと、海に近いプールにいた水泳部員を助けに行き、そのまま津波にのみ込まれた高校教師。研修にきていた中国人を助けたあとに行方がわからなくなった工場主。命綱となる衛星電話を取りに行き、電話を渡したあとに津波にのまれた病院事務局長。地震でサイレンが鳴らないために、避難を警告するために半鐘を鳴らし続けて津波にのまれた消防団員の方。被爆の恐れをものともせずに、自ら志願して福島第一原発の放水活動に参加した消防隊員の方々。

 毎日、オンラインで東北関東大震災と、その後に起こった福島第一原発の事故に関するニュースを追っている。自らの命を捧げて、人を助けようとする人たちが、日本にもまだまだたくさんいることを知り、同じ日本人として誇りに感じるとともに、こうした方たちが犠牲になったこと、そして、2万人を超える方たちが命をなくされたことに深い深い悼みを感じる。これ以上被害が広がらないことを、そして、被災者の方たちが早く平穏な生活に戻れることを祈っている。

 日本で起こっていることに比べたら、ネパールの政治家の“我欲”に基づく行動がいかにもちっぽけなものに見えて、正直、何ともばかばかしく思えてくる。このギャップを埋めることができるのだろうか。その答えをだすためにも、ブログをもう少し頻繁に更新してみようと思っている。

 
# by yoroshiku-nepal | 2011-03-23 19:47
祈り
 一昨日正午すぎ、オンラインのニュースを通じて地震のことを知りました。すぐに栃木に住む母親の携帯電話に連絡をとり、無事を確認してから、ずっと今まで、電気のあるときにはテレビでBBCかCNNのニュースを見(わが家ではNHKを見ることができません)、停電のあいだはインターネットにくぎづけでニュースを追っています。1923年の関東大震災の45倍、1995年の阪神大震災の1450倍のエネルギーをもつ地震。母国日本で、想像を絶する災害が起こったことを、さまざなまメディアから入る映像で思い知らされています。すぐにも帰国して、何でもできることをしたいという思いにかられながら、何もできない無念さは、4年前に友人が倒れて意識不明に陥ったときと同じ思いです。被災された方々に、世界中の祈りが届きますよう、これ以上被害が広がらないよう、ネパールからも祈りたいと思います。 

ラリトプル、ネパールより
小倉清子
# by yoroshiku-nepal | 2011-03-13 17:59
3月の初めに
 あっというまに、2月が終わってしまった。カトマンズは急速に暖かくなっており、庭の桃の木のピンクのつぼみが今にもはちきれそうなほどに膨らんでいる。

 いろいろと書きたいことがあるのだが、ずっとこのブログを開けることもしなかった。一月ほど前に読んだ本のことも、ずっと書こうと思いながら、書くことができなかった。フォトジャーナリスト、桃井和馬さんが書かれた『妻と最期の十日間』(集英社新書)である。桃井さんは、私の友人である岸田綾子さんの夫である。日本にいる友人がこの本を送ってくれたのだが、郵便局で本を受け取り、自宅に戻ってすぐに読み出し2時間後には読み終わっていた。この本については、実はまだ、どう書いてよいかわからない。桃井さんが、岸田さんが勤め先のテレビ局で倒れて10日後に亡くなるまでのことを、自分の魂を削り取るかのような真摯な態度で書いた記録である。桃井さんの、ジャーナリストとしての稀有な表現力に深く感銘するとともに、突然、妻を失うことになった桃井さんや1人娘の希生ちゃんの悲しみが深く深く胸に突き刺さって、途中何度も涙で活字が読めなくなった。岸田さんが倒れたという知らせを受けたとき、日本に飛んで帰らなかったことは、今でも後悔している。

 2月26日と27日には、カトマンズ郊外のホテルで開かれた女性ジャーナリストのセミナーに行ってきた。全国的な組織であるWWJ(Working Wome Journalist)が主催したセミナーである。WWJとはかつて2年間、立教大学の竹中千春教授の支援によりトヨタ財団から基金をいただいて、2年間さまざまな活動を行った。そのメンバーたちは、私がネパールで「仲間」と呼べる唯一の人たちである。今回は全国から50人を超える女性ジャーナリストが集まった。自身で新聞を発行する女性から全国紙の記者、テレビで顔を知られたニューズリーダーまで、自身の経験をシェアーして、WWJの組織をいかに拡大するかを議論した。参加者のうち、乳児をもつ3人は子供連れでの参加である。会議の途中で授乳したり、会議場の机の上に子供を寝かせたり、母親ジャーナリストたちは、何ともたくましいなと感心する。ネパールのメディア界はいまだに男性が牛耳る世界である。そんななか、頑張っている彼女たちを見ると、ネパールの将来にも少しは希望が見えてくる。

 それにしても、女性ジャーナリストたちは皆苦労をしているのだなと感じ入った。ダリットの友人の兄弟をバイティカの日に自宅に呼んだために家族に勘当され、家を出てジャーナリストになったバフンの女性。先ごろ、10年ぶりに実家に帰ったそうである。病気の治療代がなくて困っている女性のことを記事にして寄付を集め、女性を助けた人。14歳で結婚して2児を産んだあとに、「女なのに何ができる」といわれながらも、FMラジオで働きだし、「女にはできない」と言われたコメディー番組を成功させた女性。皆、地方で頑張っている女性たちである。記事や新聞の質がどうあれ、プロとしての評価がどうあれ、彼女たちがネパールメディアの男世界で挑戦を続けるかぎり、私は彼女たちのことを応援したいと思う。
# by yoroshiku-nepal | 2011-03-02 01:54
知床旅情を聴いて
 昨夜は、久しぶりに日本の歌を生で聴く機会があった。ネパールにいらしている加藤登紀子さんのライブがタメルにあるラム・ドゥードゥルであったのだが、日本人会の方からのお誘いでチケットを分けていただいた。加藤さんは喉の調子が悪いとおっしゃりながらも、懐かしい、とても心に響く歌声を聴かせてくださった。私は日本人会に加入したことがないために、こうしたプログラムにお声がかかることはめったにないのだが、今回はありがたいことに、主催者の方のご好意で機会をいただいた。最後に加藤さんが知床旅情を歌われたときには、大学を卒業してすぐに、冬の知床半島を一人で旅したときのことを思い出し、不覚にも涙が出てしまった。何年か前に、海外でも名の知られた歌手のアニ・チョイン・ドルマさんの自宅で、アニさんが私たち数人の客を前に、自分の好きな10曲を超える歌を歌ってくれるという幸運にめぐまれたことがあったが、そのときにも、昨夜ほど心に響くことはなかった。日本人であることを改めて自覚した夜だった。

 今晩は、やはり日本人と関係のある方の家に夕食に呼んでいただいた。私が以前住んでいた家の大家さんの知り合いで、今年81歳になるネパール人医師の方である。今も日刊紙Kantipurに医療に関するコラムを書いたり、元気に活動なされている。ネパールのペンクラブのメンバーでもある。この方は、26年前に、ある日本人と文通を通じて知り合い、この日本人の方の招待で日本を訪ねたことがあるそうだ。そのときに大変な歓待を受けたようで、それ以来、日本と日本人がすっかり気に入り、道であった青年海外協力隊の方を自宅に連れてきたこともあるそうである。日本を訪れたさいに、岩村昇先生ともお会いしたそうだ。私の元大家さんから私のことを聞いて、今日、大家さんと一緒に食事に呼んでくださった。今度は私が大変な歓待を受けてしまった。私の知らない日本人の方の好意が、めぐりめぐって私のところにまわってきたことになる。今度は、これを私がネパールの誰かに返さなくてはならないなと思う。
 
# by yoroshiku-nepal | 2011-01-21 00:14
ラッキーと海のこと
 今これを書いている仕事部屋では、2頭の犬たちが運動会の最中である。真っ黒な先住犬は現在2歳半、年末に我が家の一員となった犬は約2ヵ月の子犬である。人間でいうと、それぞれ何歳くらいになるのだろうか。大人と子供であることは明らかだが、先住犬も子供のようになって、毎日よく遊んでくれる。子犬は部屋の隅に置いてあるベッドの下に潜り込み、顔だけを出して、先住犬を誘いかける。まるで隠れん坊のように、実に楽しそうに遊んでいる。見ているだけで、こちらの心を和ませてくれる。子犬の世話は大変だが、先住犬には遊び友達ができて、本当に良かったなと思う。

 最初に飼っていた姫が3年前に12歳で死んだときには、また、姫に似たクリーム色の犬が飼いたくて、探したものだった。しかし、なかなか縁がなく、もう、どんな犬でも受け入れようと心に決めたときに、今のラッキーに出会った。彼女も、もともとは野良犬だったのだろうか、在住の外国人カップルが自宅の前で、一人で歩いているところを拾ったそうだ。そのときラッキーは、まだ小さな子犬だったそうである。このご夫婦が自国に帰ることになり、同じオフィスで働いている友人の叔父さんがラッキーを引き取った。ある日、我が家に来た友人が、家の近くにある彼の叔父さんの家に犬を見に行こうと誘ってくれた。この叔父さんの家にはすでに2頭の犬がおり、ラッキーを飼ってくれる人を探しているという。このとき、その犬がどんな犬なのか聞かなかったのだが、見に行こうと言った時点で、すでにどんな犬でも引き取ろうと心に決めていた。

 友人の叔父さんの家に行って出てきたのは、真っ黒な犬だった。姫とは似ても似つかない犬を見て、少々がっかりしたものの、とても人懐こい性格の犬で、すぐに気に入った。こうしてラッキーは我が家に来ることになったのだが、彼女は家に来る前は別の名前を持っていた。我が家に来た最初の日に、とても幸運なことがあったために、呼びにくい名前の変わりに、「ラッキー」という名前で呼ぶことにした。あとで複数のネパール人の友人から「真っ黒い犬は、家に幸運をもたらしてくれてる縁起の良い犬だ」と言われた。確かに、ラッキーはいつも機嫌がよさそうで、怒ったところを見たことがない。

 年末に家に来た子犬には「かい(海)」という名前をつけた。おっとりしたラッキーとは正反対の性格で、ゆっくりと食べるラッキーの食事を奪い取ろうとしては、毎回ラッキーに叱られている。さて、どんな犬に育つのか、楽しみである。
# by yoroshiku-nepal | 2011-01-18 21:25
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ネパールの日常から政治まで
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